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仙台地方裁判所 昭和35年(わ)504号 判決

被告人 石川光次

明三六・一・二三生 貸家業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は

被告人は昭和三〇年一二月三〇日頃、映画興業師坂井久光に対し、内妻庄子正子所有名義の仙台市鉄砲町三番、四番、五番連続地所在木造スレート葺二階建劇場一棟(通称公園劇場)を同四〇年六月末日の期限で賃貸したのであるが、右坂井久光に対し予てから改築を理由に休館するよう申し入れて来たけれどもこれに応じなかつたところから、同劇場の天井板を取り外して同人の映画興業を妨害しようと企て、昭和三五年六月一日午前一時過頃情を知らない佐藤恒三外約五名の職人とともに坂井久光の管理する前記劇場に故なく侵入し、同日午前四時半頃までの間に、前記職人らに命じて同劇場観覧席上方の天井板一五〇平方米、屋根のトタン板約一平方米を引き剥し観覧席に落下させて同劇場を損壊し、よつて同年六月五日まで同劇場の開館を不能ならしめ、もつて前記坂井久光の業務である映画興業に対し、威力を用いて妨害したものである。

というのである。

そこで

一  被告人の当公廷での供述

一  証人坂井久光、佐藤恒三、佐竹次男の当公廷での各供述

一  司法警察員作成の実況見分調書

一  押収の契約書謄本二通(証第一、二号)

を総合すると

一  被告人は昭和二四年以来内妻庄子正子所有にかかる公訴事実記載の劇場建物を坂井久光に賃貸しており現に賃貸中であること。

一  昭和三五年六月一日午前一時過頃、被告人が賃借人である坂井久光の意に反し、右劇場に立ち入り、その宿直員に、建物を修理すると称して佐藤恒三ほか約五名の職人を伴い、同日午前四時半頃までの間に観覧席上方の天井トタン板約一五〇平方米及び屋根スレート約一平方米を引き剥しこれを観覧席に落下させたこと。

一  その結果右劇場は坂井久光がその修理を施した同年六月五日まで開館不能の状態に陥つたこと。

が認められる。

さらに右被告人及び佐藤恒三の各供述のほか

一  証人杉山勝吉、村山惣治、岡村延雄、加藤勝俊、松井富雄の当公廷での各供述

一  加藤勝俊の司法警察員に対する供述調書

一  押収の通知書ならびに回答書謄本各一通(証第九、一〇号)

を総合すると

右劇場建物は大正初期の建築にかかる老朽建物で腐朽の度も甚だしく、これが維持保存のためには、根本的に大改修をする必要に迫られていたため、被告人は前記六月一日の数ヶ月前から修理と併せ増改築をなすべく計画し、とりあえず五月早々の着手を目途に、他人を介し、或は自ら直接に坂井久光と交渉を続けたのであるが、坂井久光は原則的にはこれに賛しながらも、増改築のためには相当期間劇場を休館しなければならないところから、多額の補償を要求して譲らなかつたため、その交渉がまとまらず、被告人としては、計画した改修を急ぐのに、これに協力しない坂井の態度を待ちきれなくなり、昭和三五年五月中旬以降にいたり、坂井に対し、同月三一日夜修理に着手する旨を通告し、坂井の不承諾にかかわらず、これをおして前記のように天井、屋根の剥ぎ取りをするにいたつたこと当時屋根の雨漏り部分があり、それを探すために天井を外すことが便宜である関係もあつて、先ず天井と屋根に手をつけたものであること、右の作業直後警察問題となり、被告人はそれ以上作業を進めることができなくなり、坂井久光においてその後始末をしたこと、以上の事実が認められる。

被告人は、右の作業により直ちに劇場の休館することを予期したものでなく、落下物は直ぐに取り片付け、屋根の剥ぎ取り部分は直ぐ葺き直すつもりでいたのであり、坂井は営業を継続しながら修理することには反対していないし、暫らくは劇場の営業を継続させたまゝ改修作業をし、改修のため休館を要する段階に立至つたとき坂井久光と話合つて休館してもらうつもりである旨、弁解しているところであるが、前記の証拠によつても、劇場の営業を継続しながら修理することについては坂井久光においても必ずしも反対していなかつたことが窺われるのであつて、右弁解は一応筋がとおつており、これを虚偽として直ちに排斥するに足りる証拠は存しない。少くとも被告人が坂井久光の映画興業を妨げる意図の下に前記の所為をしたことについては、これを認めるに足る証拠がないといわなければならない。

次に民法第六〇六条には、賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をしようと欲するときは、賃借人はこれを拒み得ない旨が定められており、賃貸物の保存に必要な場合には、賃貸人は賃借人の意に反してもこれをなし得るものと解されるのであるが、以上の認定ならびに被告人の弁解からすると、被告人が天井、屋根を引き剥いだのは建物を維持修理するため、つまり建物保存のために必要な行為であると認めざるを得なくなるから、被告人が賃借人たる坂井久光の意に反して該建物に立ち入り、前記の所為に出ることは、一応正当行為として許される如き外形を呈する。もとより他の違法な意図をもちながら保存行為を口実に建物に立入り、天井、屋根を引き剥ぐとか、或は映画興業の最中に右のような所為に出るとか公序良俗の見地から妥当と認められる範囲を逸脱している場合においては、犯罪の成立を否定し去ることはできないのであるけれども、本件において特にこのような事情の存することは認め難いところである。

以上要するに本件においては、公訴事実にいわゆる、被告人が坂井久光の映画興業を妨げる意図の下に、劇場に侵入し、該建造物を損壊し、更に威力を用いて右興業を妨害したことについては、その証明がないことに帰する。よつて刑事訴訟法第三三六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 畠沢喜一)

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